おまえはひとりじゃないんだよ
しんらんさまもいなさるよ
「なんまんだぶつの子守歌」より
あなたは
あなたで
あればいい
マザーテレサ
他人に対して感じる
「いらだち」や「不快感」は
自分がどんな人間のかを
教えてくれる
カール・グスタフ・ユング
これからが これまでを決める
藤代聰麿
一念慶喜するひとは 往生かならずさだまりぬ
親鸞聖人
明日ありと 思ふ心のあだ桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは
親鸞聖人
あてはずれ あてはずれ
あてはずれつづけて
あてはずれてもいい 大地に立つ
浅田正作
世の中は悪人の懺悔の涙によってうるおされて、
善人の驕りによってかわいてくる
金子大榮
好きな男の最も曖昧な言葉でさえ、好きでない男の明白な言葉よりも心をかき乱すものである
『クレーヴの奥方』より
お念仏は讃嘆であり懺悔である
金子大榮
自分が自分になった背景を知る それが恩を知るという意である
安田理深
念仏に生きた者は 死して南無阿弥陀仏となる
二階堂行邦
仏像を拝む人は多いが 仏様に出遇う人は少ない
わかっても わからんでも 念仏しなさい
そして、念仏から教えられていきなさい
信国淳
煩悩具足と信知して
本願力に乗ずれば
すなわち穢身すてはてて
法性常楽証せしむ
高僧和讃
七宝講堂道場樹
方便化身の浄土なり
十方来生きわもなし
講堂道場礼すべし
浄土和讃
念仏とは「今」の有難さを見出す智慧
金子大榮
苦をまぬがれるには その苦を 生かしていく道を 学ぶことです
蓬茨祖運
苦が外から やって来ると 思っている間は 苦はなくならない
蓬茨祖運
人生における苦しみは すべて如来の激励である
曽我量深
よい事をしようと 思えば出来る
悪い事をすまいと 思えばやめられる
これを思いあがりという
自ら信じ人を教えて信ぜしむ、難きが中に転た更難し
親鸞聖人
天上天下唯我独尊
釈尊
報恩に休息なけれど 年の朝
句佛聖人
「ほんもの」と「にせもの」は 見えないところの 在り方で決まる
東井義雄
報恩は知恩である
恩を知り
他者に恩を報(し)らせてゆく営みである
豊かそうに見える この日本で
心の飢えは ないのでしょうか
マザー・テレサ
長いこの世の旅では 自分も傷ついたが 人も傷つけた
榎本栄一
人生 やり直しはできないが 見直すことはできる
金子大榮
最後まで自分を見届け
最後まで自分を見捨てない
中村俊道
何かになれなくても 私たちには 生きる意味があるのよ
亡き人を案ずる私が 亡き人から案ぜられている
つくべき縁あればともない はなるべき縁あればはなる
『歎異抄』
私が私になるために
人生の失敗も 無駄な骨折りも 悲しみも
みんな必要でした
上原美代子
福は内、鬼も内
この世には 我がものとてぞ なかりけり
身でさえ土に かえしてぞいく
桃栗三年 柿八年
ユズは大馬鹿十八年
人は百でも成りかねる
自然のいいとこばかり利用して、
自然の怖えとこから目え背けて、
そのうち忘れてしまう
それが人間の傲慢さだ
蓮は泥より出でて 泥に染まらず
やがて死すべき者の 今いのちあるは ありがたし
蝉の一生も 人の一生も ただ同じ 素晴らしきかな
本夛恵
心ほど 心まよわすものはない
香樹院徳龍
ないものを欲しがらんで あるものを喜ばしてもらおうよのう
河村フデ
病気もおかげさま
死んでいくもおかげさま
おかげさま おかげさま
竹部勝之進
死は敗北なのでしょうか?
生き延びる事が勝利で 死ぬ事が負けだとしたら
人間は負ける事しかできない 生き物なのでしょうか?
佐藤秀峰
「帰る」場所なら もうすでに在るはず
井上雄彦
浄土真宗は 幸せになる教えではありません
幸せ不要の人間になることです
曽我量深
浄土は言葉の要らぬ世界である
人間の世界は言葉の必要な世界である
地獄は言葉の通じない世界である
曽我量深
人を噛んだマムシだけがマムシであるのではなく、
いつ、人を噛むかもしれない私も
やはりマムシである
東井義雄
分かち合えば足りるものを
奪い合えば足りない
人の悪口は 嘘でも面白いが
自分の悪口は 本当でも腹が立つ
だれも見ていなくても
お月さまと
おまえの中の 仏さんが 見ているよ
一番はもちろん尊い
しかし一番よりの尊い ビリだってある
東井義雄
往く道は 精進にして 忍びて終わり 悔いなし
高倉健
人間とは その知恵ゆえに
まことに 深い闇を生きている
高史明
問うことが 学ぶこと
人間万事塞翁が馬
知るを知るとなし 知らざるを知らずとなす これ知るなり
人生をサボっている つもりはないのに
満足できないのは なぜだ
人間みんな裁判官
他人は有罪
自分は無罪
仏法は 精神論ではない 存在論です
池田勇諦
あなたにとって「わたしたち」というのは、誰ですか。
長田弘
過ちは、誰でもする。
強い人も、弱い人も、偉い人も、愚かな人も、過ちは、人間を決めない。
過ちの後が、人間を決める。
過ちの重さを、自分の肩に背負うか、
過ちから逃れて、次の過ちを犯すか、
過ちは、人生を決めない。
過ちの後が、人生を決める。
お寺は 〝いのち〟を考える場所
人生に暇な時間はあっても 無駄な時間なんてない
私のいのちも 私のからだも 私の子どもも 私の物のすべても
私の思い通りにはならない
すべては 如来からの頂きもの
だからこそ尊い だからこそ 有り難く 仏様いただきます
思い通りにならぬ 思わぬ事まで起きる これを「苦」という
大いなるものの力にひかれゆく
わが足あとのおぼつかなしや
九条武子
どの窓も 元気であれと 春の星
蓮如忌や おさな覚えの 御文さま
いのちより大切なものが わからなければ
いのちの大切さは わからない
曽我量深
人の〝ふり〟見て、我が〝ふり〟とせよ
殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ
老年の一日は 十日
老年の十日は 百日
老年の一か月は 一年
そう考えて 一日一日を大切にせよ
たった一回きりだ。 自分の死を自分で大切にしようよ
問題は倒れることではない 立ち上がろうとしないことだ
モハメド・アリ
折れて見て 初めて見えた。
鬼の角
折れた思いが また角になり
浅田正作
わたしをとりまく一切が
諸仏であったのです。
やさしい諸仏も、厳しい諸仏も、
あたたかく見護ってくださる諸仏も、
重い試練をあたえてくださる
諸仏もいてくださいます。
藤田徹文
愚かな愚かなわたしです
それさえしらぬわたしです
木村無相
ありがたいこっちゃ
もったいないこっちゃ
はずかしいこっちゃ
なんまんだぶ
郡上八幡の善太郎
すべてを疑うか、
すべてを信ずるかは、
二つとも
都合のよい解決法である。
どちらでも我々は
反省しないですむからである。
アンリ・ポアンカレ『科学と仮説』
いのちがけでほしいものを
ただ一ツに
的をしぼって言ってみな
相田みつを
出会わねばならない
ただひとりの人がいる
それは私自身
廣瀬杲
どう生きるかが
問題ではない
何のために生きるかが
問題である
能邨英士
われらは
善人にもあらず
賢人にもあらず
親鸞『唯信鈔文意』
難が無ければ 無難な人生
難が有れば 苦難の人生
難有ればこそ有り難し
江田智昭
なかなか頭が下がらんもんで
頭が上がらんようになりました
池田勇諦
右ほとけ左われぞと
合わす手の
なかにゆかしき南無の一声
古歌
深い悲しみ 苦しみを通してのみ
見えてくる世界がある
平野恵子
病気が治るのが ご利益ではない
どんな病気になっても
いただいた命を
生き抜くことができる
これがご利益だ
どんなにつらく
悲しいことに出会っても
いのちいっぱい生きてほしい
そうあなたは願われています
同朋新聞表紙の言葉
生活の現場こそ「道」
この生涯こそ「道場」であります
日野賢之
はてしない過去から
私をつつむ いのち
はてしない未来まで
私を照らす光
私は出遇う いのちと 光
限りない仏さまに
朝野執持
人生において最もたいせつな時
それはいつでもいまです
相田みつを
降ってよし 晴れてよし
無くてよし 有ってよし
死んでよし 生きてよし
竹部勝之進
お念仏なしには
人生は幻であり
お念仏によって
人生のまことが輝く
曽我量深
疑い疑い、疑いぬいて、
疑う余地のない時に
はじめて信が芽生えてくる
われわれの生は、
われわれの記憶も届かない
深いところから来ている
武宮礼一
死があるということが
生に無限の意義を与えている
蓬茨祖運
一人居て喜ばは 二人と思うべし
二人居て喜ばは 三人と思うべし
その一人は親鸞なり
親鸞 御臨末の御書